ブログ布留川のほとりから

第95回企画展「器にみるアンデス世界―ペルー南部地域編」の見どころ(Ⅰ部)

2024年05月22日 (水)

I部では、紀元前1200年頃から植民地時代までの土器や木器を、年代が古い順に展示して、それぞれの文化の世界観に触れていただきたいと思っています。主な見どころは、1)土器の彩色方法の変化、2) かわいい図像、3)コップ型の酒器「ケロ」です。

 

1) 土器の彩色方法の変化

パラカス文化(前800年頃~後100年頃)からナスカ文化(後100年頃~650年頃)になると彩色の仕方に変化がみられます。パラカス文化では土器を焼いてから樹脂顔料を充填するポスト・コクションと呼ばれる技法で土器に文様が描かれていましたが、ナスカ前期(後100年頃~300年頃)になると多彩色の顔料で図像を描いてから焼成するようになりました。土器のモチーフには陸上動物や魚、海獣、栽培作物、そして神話世界のキャラクターが選ばれ、10から15もの顔料が使い分けられたといわれています。

なお、これらの文化が栄えたペルー南海岸を代表する器形に、橋形把手付き双注口壺があります。注口を2つもち、その間に把手が付けられています。ペルー北海岸を代表する器形の鐙型注口壺(あぶみがたちゅうこうつぼ)(参考館セレクション[鐙型注口壺]を参照)と比べると、漫画やイラストのようなタッチで図像を描くには適した器形なのかもしれません。

 

2) かわいい図像

パラカス文化の人面文壺(写真1)やナスカ文化の深鉢(写真2)のように、ペルー南海岸の図像は漫画やイラストを彷彿とさせ、思わず「かわいい~」と言ってしまいそうになります。

閉幕まであとわずかですが、是非実物をご覧いただいてこの思いを共有していただけると嬉しいです。

 

3) コップ型の酒器「ケロ」

トウモロコシの醸造酒であるチチャを振舞うために用いられたコップ型の酒器「ケロ」は、ティワナク文化の典型的な土器の一つとして知られています。しかしこの器は、地域、年代を超えて用いられ、インカ帝国では木製のケロもつくられました。ケロは主に儀礼で用いられましたが、インカ帝国では帝国拡大の過程で臣従の誓いの証としても用いられました。そして必ず一対で用いられ、神と人間、インカ王と被征服地のリーダーとの関係を結ぶ役割を果たしました(参考館セレクション[木製ケロ(刻文)]を参照)。ケロはスペイン人に征服された後もつくり続けられ、結果的にインカの末裔たちのアイデンティティを描き残すことになりました(参考館セレクション[木製ケロ(彩文)]を参照)。この点だけでも十分興味深いのですが、植民地時代のケロが、パラカス文化と同様に樹脂顔料を使用して彩色されていたことも見どころの一つです。

 

第95回企画展ブログ4】

海外民族室 荒田 

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