ブログ布留川のほとりから

スポット展示「五月人形」その1

2021年04月23日 (金)

依然として新型コロナウィルス感染症という悪疫に脅かされる日々が続いています。5月は風薫る過ごしやすい季候ですが、古代中国では最も忌むべき月でした。旧暦で考えると合点がいきますが、長雨が続いて河川が氾濫し、気温が上がって食べ物も腐りやすくなり、疫病が流行ったのです。そのため、端午の節句には健康を守る様々な行事が催されました。

 

日本にもその考えが伝わり、端午の行事の記録に、『日本書紀』推古天皇19年(611)「薬猟(やくりょう)の儀」があります。天皇自ら野に出て薬草を摘むのに加えて、鹿の若い角、鹿茸(ろくじょう)を採る狩猟を行いました。当日は百官を率いて莵田野で催されましたが、端午に採る薬は効能が高いとされていたからです。

 

また、『続日本紀』天平19年(747)の記述によると、「昔は五月五日の節には菖蒲を鬘(かずら)としていたのに、近頃はなくなってしまった。今後は五日に菖蒲の髪飾りをつけない者は宮中に入ることを許さない」という詔が出されています。「○○○をつけない人は入らないでください」とは、最近よく見かけるフレーズですが、菖蒲は邪気を祓うと考えられていたのですね。

 

アヤメ科のハナショウブは美しい花ですが、香りが強く薬効成分が高いのはサトイモ科のショウブで全く別物です。
端午の節句は「薬の日」とも言え、子どもの健やかな成長と併せて悪疫退散も願いたいと思います。

 

4月20日より2階民家ステージにおいて五月人形を展示しています。

 

五月人形の飾りより菖蒲 大正14年(1925)

 

スポット展示「五月人形」ブログ1】

日本民俗室 H 

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