サファヴィー朝陶器とインカ・ケロ
2020年12月09日 (水)
創立90周年特別展「大航海時代へ―マルコ・ポーロが開いた世界―」第1会場から第2会場へ移る際、順路は女子トイレの方に曲がります。この通路とも言えるところにも様々な資料が展示されています。しかもこんな端に追いやるにはもったいないと思える良い作品ばかりです。
最初のケースにはイランのサファヴィー朝(1370~1736年)の陶器を展示してます。サファヴィー朝の首都イスファハーンは「世界の半分」と称されるほど繁栄していました。訪れたヨーロッパ人の中には、美しい陶器が作られていると記録している人もいます。現在も色鮮やかなタイルで被われたモスクが建ち並んでいます。本展に展示されていますリンスホーテンの『東方案内記』がもたらした情報に影響を受けて、アジア進出するオランダが世界最初の株式会社と称される「東インド会社」を設立するのは1602年です。東洋のものを大量にヨーロッパに運んだのですが、その中でも中国陶磁は良い商品でした。ところが17世紀の中頃になると中国の明朝が満州族の清朝に滅ぼされるのですが、その戦火で景徳鎮をはじめ重要な陶磁窯場は大きな被害を受け、生産できない状態に陥ります。オランダは重要な商品が絶たれたため、中国の染付を模した陶器をサファヴィー朝から入手し、これをヨーロッパに運んだのです。代用品として通用できるほど、サファヴィー朝陶芸は優れていたとも言えます。磁器ではなく陶器ですが、かなり堅く焼きしめられていて、東洋風の文様が施されています。
その左横のケースにはインカのケロを展示しています。これも見逃せない作品です。今回初公開の資料です。ヨーロッパ人は世界に進出して行くのですが、それまで外部と接することもなかったアメリカ大陸には悲劇的な結果をもたらします。侵略と略奪はすさまじく、しかもヨーロッパ人がもたらした疫病により人口の大半を失いました。古代文明インカも滅んだのです。1533年に最後の皇帝が処刑され、1572年には最後の指導者が捕らえられ、斬首されます。これで終わったかと思われていたのですが、インカは植民地時代においてもしたたかに生き抜いていたことが後の研究で分かってきました。それを示すのが展示しているケロなんです。
ケロはもともとインカ帝国で重要な儀礼に太陽神に捧げるために用いられた酒杯です。征服したスペインは当然異教の儀礼を行うことも、その容器ケロを作ることも禁じます。ところが一方で貨幣経済を定着させるために、商品としてケロを作って売ることは許可します。展示しているのがその「商品」としてのケロです。インカの人たちは「商品」として手に入れて世帯レベルで隠れて儀礼を行っていたのです。こうしてアイデンティティは保たれていたのです。まるで日本でいいますと隠れキリスタンのような存在です。もっともアメリカでは弾圧するのがキリスト教徒ですが・・・。
いずれも大航海時代に相応しい展示内容ですので、お見過ごしのないようご注意下さい。
【特別展大航海時代へブログ11】
考古美術室 T