唐時代の鏡と西方の影響
2020年12月01日 (火)
写真の鏡は、唐時代(8世紀)に作られたもので、八弁の花のような形状をした美しい鏡です。創立90周年特別展「大航海時代へ―マルコ・ポーロが開いた世界―」で展示している天理参考館の所蔵する優品の一つです。このような周縁が八つの花弁状になった形状の鏡は、通常、八稜鏡(はちりょうきょう)と呼ばれています。
古代の中国の鏡と言えば、円形のものを思い浮かべる人も多いかも知れません。実際、漢時代の青銅鏡や日本の古墳から出土する鏡の多くは円形をしています。稀に、方形(四角)の形をした鏡もありますが、古代中国の鏡といえば円形か方形が通常です。このような中国の鏡の形状が大きな変化を見せるのは、実は唐時代なのです。
唐王朝は非常に広い領域を支配した強大な帝国で、シルクロード交易を通じた東西交流が活発化した国際色豊かな時代でした。その時代に相応しく、様々な優れた美術工芸が花開いた時代でもありました。
唐王朝が成熟期を迎えた7世紀末から8世紀始めの頃、写真で示したような形の鏡が作られるようになります。このような鏡の形の大きな変化は、唐時代になると金属加工技術が飛躍的に発達したことがその背景にあると考えることができます。八稜鏡など唐時代に登場する新しい鏡の形状や装飾からは、同時代の金銀製容器と強い関連性が認められるからです。
唐時代、中国の金属加工技術は極めて高い水準に達していました。実は、唐時代に金属加工技術が飛躍した背景には、遙か西方のペルシア(イラン)が大きな影響を与えています。唐王朝が成立した7世紀初頭、西方にはサーサーン朝という大きな帝国が存在していました。サーサーン朝は優れた工芸技術を有しており、サーサーン朝で作られた優れた美術工芸品はシルクロードを通じて数多く中国にもたらされていました。また同時に、様々な工芸技術も中国にもたらされ、中国の金属加工技術に大きな影響を与えたと考えられています。
唐時代の鏡には、華やかな唐文化らしく鏡背(きょうはい)の装飾に金や銀、宝玉、あるいは貝殻などの多様な材質を用いることや、鍍金銀貼(ときんぎんばり)や平脱(へいだつ)、螺鈿(らでん)などの特別な技巧で美しく飾り立てることも流行します。写真の鏡もその代表的なもので、金メッキが施された銀の板を青銅鏡の鏡背に貼り付けて製作されたものです。厚めの銀板を型にあて、打ち出しの技法で美しい文様を表し、表面に細やかな魚子文を打って、さらに鏨(たがね)で精密な彫刻を施して作られています。まさに金属加工技術の粋をこらしたものといっても良いでしょう。
このような優れた唐時代の美術工芸品からは、当時活発に行われたシルクロードを通じた東西文化交流の香りを強く感じることができます。今回の特別展には、同様に東西交流を強く感じさせる資料を数多く展示しています。この機会に是非ご覧いただければと思います。
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考古美術室 A