「祈りの考古学」展-銅鐸のルーツを展示中-
2019年08月07日 (水)
弥生時代に稲作が大陸から伝わったとき、農耕のまつりも一緒に伝わりました。
銅鐸は農耕のまつりの重要な道具として発達しました。当初は内部にぶら下げた舌(ぜつ)と呼ばれる棒が銅鐸の内面の突帯(とったい)にあたって音を出していたと考えられています。銅鐸は祭場の木に吊るしてまつりの際に音をだす大切な役割をしていたのです。銅鐸は次第に大型化し、「鳴る銅鐸」から「見る銅鐸」へと変化していきます。
中国では内部に吊るした舌で音を出すものを、鈴(れい)と呼んでいます。上部には鈴をぶら下げるための半円形の鈕(ちゅう)がついていて、銅鐸と同じような構造をしています。これが朝鮮を経て日本に伝わり、銅鐸になっていったと考えられています。
展示場では銅鐸のルーツとなった中国の鈴や朝鮮の馬鐸なども展示していますので、是非ご覧ください。
【第84回企画展ブログ6】
考古美術室 H