特別展「天理参考館の珠玉」も残り1ヶ月 初公開の重要美術品
2016年02月17日 (水)
天理参考館の収蔵品から選りすぐりの88点をご覧いただいている特別展「天理参考館の珠玉」の会期も残すところあと1ヶ月となりました。年明けに始まり、松の内も過ぎ、極寒の1月末を乗り越えて、もう梅が咲いています。学芸員になって○十年、展覧会を担当する度に感じるのですが、展覧会は始まってしまうとあっという間です。おかげさまでプレミアムトークショーも、2回の講演会も無事に終えることができました。
今日は展示品をひとつご紹介したいと思います。今回8点ある初公開資料のうちの1つ「瓦経金剛般若経(がきょうこんごうはんにゃきょう)」(重要美術品)です。日本の平安時代のもので、出土地は兵庫県姫路市の極楽寺です。「瓦経」は聞き慣れない言葉だと思いますが、平安時代には末法思想が広まり、お経やお供えの品々を土に埋める経塚(きょうづか)が日本各地で造営されました。ほとんどの場合、お経は紙に書いたものでしたが、瓦状の焼きものに書いた例がわずかにあります。これを瓦経と呼びます。
この瓦経は、平安時代に今の姫路市にあった極楽寺(現在の寺名は常福寺)裏山の経塚に埋められたのでした。その後経塚の存在は忘れられてしまい、数百年の時が流れました。江戸時代になって偶然500枚の瓦経が掘り出され、経塚の存在が知られることになりました。出土した瓦経は当時の姫路藩主が回収して、すべての拓本を取りました。しかし明治維新の混乱のなか、瓦経そのものは姫路城の濠に捨てられて行方不明になってしまいました。
現在、拓本と一部の瓦経は東京国立博物館に収められています。また、もともと埋められていた現在の常福寺には少数の瓦経が残っていて、重要文化財の指定を受けています。また1996年には姫路城の濠の浚渫(しゅんせつ)作業中に40数点が出土しました。
展示中の瓦経は、明治維新の混乱時にお城の濠に捨てられることなく持ち出され、幾多の人々の手を経て天理にやってきたのでしょう。もし今も地元にあったら重要文化財だったのに。お濠に捨てられていたら今も水の中で底に埋まっていたかもしれない。東京国立博物館に収められる機会もあったのかもしれない。見た目は地味で、目立たない展示品ですが、この瓦経を見ると、天理にやってきたご縁を考えてしまいます。
今週の土曜日はトーク・サンコーカン(公開講演会)を開催します。また、2月26日(金)・28日(日)と3月11日(金)にはいずれも午後1時30分よりギャラリートーク(展示解説)を行います。今度いつ展示できるかわからない銘品がずらりと並んでいますので、是非一度お越し下さい。
【天理参考館の珠玉ブログ13】
考古美術室 F