お洒落の発信地は「上方」(1) ~ おしゃれ話その4
2022年02月04日 (金)
現在の流行の発信地といえば東京でしょうか。江戸時代中期までは圧倒的に京、大坂を中心とする上方でした。
「くだらない」という言い方がありますが、これは上方から江戸への「下り物」でないものという意味です。つまり江戸近辺で作られたものは「下らない」ものでした。お酒は伏見、伊丹、池田、灘といった酒造地から樽廻船で江戸に運ばれた下り酒が、高く評価されました。船に揺られて運ばれても美味しかったのでしょう。つまり、製法技術が高く、それだけのものを開発する財力があったと言えます。
髪飾りも同様です。高価な鼈甲の櫛は繊細で歯が折れやすいのですが、1700年代はじめには大坂の職人が接合技術を会得しています。「近頃、工人が櫛歯の折れたのを継ぐのをみると、少しも痕(あと)が見えない。これは炙(あぶ)り温めて接(つ)ぐからだ」(寺島良安『和漢三才図会』正徳2年)という記述が残っています。また、別の記録では「正徳年中に歯など接事大坂にありしが江戸にはうつらざりしを、享保にいたりて其術江戸につたわり」(『歴世女装考』)とあります。おそらく企業秘密にしていた技術が、10年を経て江戸に伝播したのでしょう。櫛・簪・笄の洒落たデザインも、上方発のものが多くあります。上方は元禄頃までお洒落の発信地として君臨していました。
【第88回企画展ブログ5】
日本民俗室 H