第86回企画展「器にみるアンデス世界 ―ペルー北部地域編―」 II部:消費、再生産される古代文化 ―贋作か、それとも民衆芸術か― の見所ご紹介②
2021年05月31日 (月)
本展のII部では、「階段と渦巻きの神殿(テンプロ・デ・エスカレーラ・イ・オラ)と人身供犠」と題して、関連する資料をまとめて展示しているスペースがあります。
クリーム地に赤あるいは茶褐色の顔料でモチーフを描いたモチェ文化の図像土器には、階段文と渦巻き文が頻繁に登場します。出品している鐙型注口壺2点と朝顔鉢1点にも描かれています。これらについては、階段と渦巻きの神殿を表しているとの見解が、近年のモチェ研究で示されています。そして出品資料の中には1点だけですが、この神殿模型の破片があります。頂上部の渦巻き部分には生贄にされてうつ伏せに倒れる人物が表現されていますが、下の三段の階段状の構造物は欠損しています。展示室のパネルには類例の写真を掲載していますので、比較しながらご覧いただくと分かりやすいと思います。
この階段と渦巻きの神殿模型に人身供犠の様子が表されていることから、階段文と渦巻き文のモチーフが人身供犠と関連して描かれることが想像できます。実際、モチェ文化の研究者はそのように指摘しています。
モチェ文化では、山の頂で人身供犠が行われている様子を表した土器が多数つくられました。そして、山のふもとにつくられた神殿の発掘調査で、エル・ニーニョ現象によって干ばつが起こった時に人身供犠が行われていたことが明らかにされています。それでは、人身供犠で生贄(いけにえ)として捧げられたのはどのような人物だったのでしょうか?
モチェの図像土器には、捕虜にされた戦士が生贄として捧げられる場面が描かれます。現在でも、アンデスの一部の地域では、対の関係にある2つの集団の間で儀礼の一環として戦いが行われます。おそらくモチェ文化でも生贄に捧げる人物を決めるためにこのような戦いが行われたのでしょう。儀礼とはいえ、選ばれた戦士たちは命がけで戦ったのだと思います。
実は渦巻き文と階段文の組み合わせはモチェ文化以外でも見られます。古くは、紀元前800年頃から紀元前500年頃にかけてつくられた土器にも表現されています。また、モチェ文化と同じ時代にペルー北高地で栄えたレクワイ文化の土器にも描かれています。
渦巻き文と階段文に注目しながらご覧ください!
【第86回企画展ブログ4】
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