掲出は日本の代表的な染色技術のひとつである友禅の重要無形文化財保持者(以後、人間国宝と表記)、森口華弘(本名:平七郎。1909/明治42~2008/平成20)作になる縮緬地の羽織です。
滋賀県出身の華弘は、1924/大正13年(15才時)、京都の友禅師三代目中村華邨に入門し修行に励む傍ら、日本画家菊池芳文門下の疋田芳沼(ひきたほうしょう)にも師事し研鑽を積みました。昭和14年に苦節30才で独立を果たし、1955/昭和30年(46才時)、第2回日本伝統工芸展(以後、同工芸展と表記)に友禅着物「松」「おしどり」「早春」(同工芸展優秀賞)を出品し3点共に入選、友禅作家としての華々しい才能を世に披露します。この3点の着物の中でも「早春」は、弓なりの梅樹が斬新な印象を放つ訪問着で、華弘独自といわれる「蒔糊(まきのり)」技法を全面に取り入れて製作された作品です。さらに昭和32年以後は同工芸展の鑑査員をつとめ、1959/昭和34年(50才時)、第6回同工芸展には友禅振袖「流水」などを出品します。また、社団法人日本工芸会の常任理事もつとめ、1967/昭和42年には「友禅」で第13次の人間国宝に指定されるに至りました。
この人間国宝に指定された京都の友禅関係者の先人には、昭和30年第2次指定の友禅/田畑喜八・上野為二、友禅揚子糊(ようじのり)/山田栄一が存在します。華弘は友禅関係者としてはこの3名に次ぐ指定者となりました。因みに2007/平成19年に同じく友禅で人間国宝に指定された森口邦彦(1941/昭和16~)は華弘の息男にあたります。
華弘は友禅の糸目糊置(いとめのりおき)や堰出糊置(せきだしのりおき)、蒔糊(まきのり)などの技法を独自に駆使してオリジナリティ溢れる作品を輩出してきました。その中でも特に蒔糊技法による作品は高く評価され、他の追随を許さぬ独自の境地に達したと表しても過言ではありません。
掲出は縮緬地の着物全面に流水の模様を大胆に描出した見事な羽織です。この羽織と柄行(がらゆき)が同意匠と思われる着物が、先述した昭和34年発表の振袖「流水」です。この振袖は華弘の得意とする蒔糊技法による地染めと手描きの流水や金刺繍が見事に調和した作品と高評されており、掲出もこの振袖同様の評価が可能でしょう。
1976/昭和51年に華弘の友禅修養50年記念として企画発刊された『友禅 森口華弘撰集』(求龍堂)の序文を書いた作家円地文子は、文中で数多の華弘の作品の中で特にこの振袖「流水」に触れて、“水の流れだけを染め出したもので、構図の奔放なところは桃山時代の名品を見るようで、気品と、華麗さを兼ね具えている。”と賛辞を呈しています。
また、昭和53年の染織専門誌『季刊染織と生活』第21号(染織と生活社)の企画した着物に関するアンケートで、華弘は尊敬する人物に尾形光琳の名を挙げています。
これらのことからも振袖と羽織ふたつの「流水」の着想の原点のひとつを求めることが出来るかもわかりません。