パジャマ、ナイトウェア、寝間着、寝巻、搔巻、夜着、寝茣蓙、茵(しとね)、衾(ふすま)、蒲団、寝具、夜具。
連想ゲームのようですが、何を列記したものかおわかりでしょうか。
身体に触れる(身に着ける)ものから、掛ける・敷くなど大型化したものへと、「就寝」に関係するカテゴリーとして挙げてみました。現代はTシャツやスウェットも含まれるかもしれません。同じようなものでも表記や呼称が多彩で、日本人が「就寝」に心を配ってきた歴史がうかがえます。就寝時専用の着物としては“パジャマ”から“寝巻”までがそれに当たります。複数の作品の中でも芥川龍之介は“寝間着”、織田作之助は“寝巻”とそれぞれ表記を統一していて、作家のこだわりが感じられます。
掲出資料は“夜着”で、就寝時寒さをしのぐために上に掛ける、着物の形をした掛布団です。中には綿が入っており、ずっしりと重みがあります。“搔巻”は、天保期に喜田川守貞が著した『守貞謾稿』に「カヒマキハ、夜着ヨリ小ニ(中略)四時昼臥ニ用之コトアリ。或ハ寒風時夜着ノ下ニ累ネ臥スコトアリ」という記述が見られます。“夜着”は“搔巻”より大型でどちらも袖を通すと肩を包み込む形になり、防寒に適しているため、いずれも冬の季語になっています。
“夜着”は桃山時代に出現しましたが、まだまだ贅沢品で、広く普及するには木綿の栽培量の増加が必要でした。当時の奈良興福寺の僧英俊の日記『多聞院日記』には、“小袖”や“夜着”の洗濯を下級僧とその母親や妹に命じて、米三升や柿十個などの謝礼を支払った記録が残っています。江戸時代、その興福寺大乗院より寺領が多かった内山永久寺(現 天理市)の旧蔵品とされるのが本資料です。夜着には鳳凰や松竹梅などの吉祥文様が描かれます。本品は黄色絹の絞りの上に華やかな桐の意匠が採用されていますが、桐は帝王を象徴する鳳凰が棲む瑞祥樹とされ、邪悪なものが近寄らないよう魔除けの意味が込められています。内山永久寺は明治7年に廃寺となり、翌年伽藍が競売にかけられますので、そのころ寺外に放出されたと思われます。「御殿様宿泊時使用」といういわれが残っており、大和国内でトップクラスの寺領を有しながら、明治の廃仏毀釈で跡形もなく消えた寺の歴史を現代に伝える資料の一つとなっています。