昭和39(1964)年10月に日本で初めて開催された東京オリンピックでは、国内はもとより海外から大勢の観客来場が予想されるとともに、各地への観光客増加も見込まれ、その対応が課題でした。
当時の運輸省(現国土交通省)は開催1週間前の10月3日に以下のように発表しています。
- 大会中の観客数は延べ226万人が予想され、このうち国電※利用者はおよそ200万人に達する見込みなので10日から24日にかけ、中央線など国電各線に3695本の臨時電車を運転するのをはじめ、車両の増結や運転間隔の短縮で輸送力を増やす。とくに中央線は国立競技場への利用客で混雑が予想されるため、日曜日にも快速電車を走らせる。中央緩行線については信濃町、千駄ヶ谷、原宿駅に臨時ホームを設ける。
- (東京新聞 昭和39年(1964)10月4日号より) ※現JR
掲出1枚目の「オリンピック特殊往復乗車券」は、このような状況の中、業務軽減を目的に発売されたキップです。本来、往復乗車券は往券と復券からなり、目的地に到着した時点で往券が回収され、復路は復券で乗車しますが、この乗車券はオリンピック会場周辺駅の出札・集札業務を低減するため、目的地の改札では往券を回収せず提示するのみとしました。「こくてつ JNR」の地紋用紙に黒で駅名や運賃が印刷された上に、赤で五輪のマークが加刷されています。右側の斜め線は小児断線といって、子供への販売の際にはこの部分が切り取られました。
訪日外国人旅行者が少なかった当時、外国人対応として、東京、横浜、上野、新宿、千駄ヶ谷各駅に外国人客向けの案内所を開設、外国語のできる職員が配置されるとともに、案内板への英文表記追加や各種案内パンフレットの配布、駅・車内での英語の案内放送など工夫が凝らされました。
また国鉄の増発とあわせて相模湖、河口湖方面への臨時列車も運転され、急行を利用する観光客向けに発売された記念券が掲出2枚目の「東京オリンピック記念急行券」です。オリンピック開会式でも披露された鼉太鼓(だだいこ)と楽人がデザインされていて、改札で下部の急行券部分を切り離して回収し、上部は持ち帰れるようになっています。