大正3(1914)年に上本町奈良間で開業した大阪電気軌道は、自社線の延伸のみならず、他会社の吸収・合併で規模を拡大したことが知られています。グループ内合併を経て関西急行鉄道となった後、昭和19(1944)年に戦時企業統合政策に基づき、国家主導で南海鉄道と合併し、日本最大規模の私鉄として近畿日本鉄道(近鉄)が誕生しました。そして戦後の22(1947)年6月、社風や経営方針の違いから、旧南海鉄道の路線を分離して南海電気鉄道が発足、現在の形となりました。
掲出は終戦間もない22年10月に配布された特急乗車記念絵葉書です。戦時中は資材調達難や労働力不足が深刻になり、路線・駅の営業休止や運転速度の低下、列車本数の削減等を行い、からくも運輸営業を継続していましたが、終戦翌年の21年には、休止していた駅の多くが営業を再開し、近鉄は他社に先駆けて、22年10月から上本町名古屋間で座席定員制有料特急列車の運行を開始しました。この絵葉書は、乗客に列車名を考えてもらう趣向で、絵葉書・アンケートを一体にして配布したものです。ノン・ストップ4時間と表記されていますが、実際には大阪線と名古屋線は線路の幅が違うため、伊勢中川で乗換が必要でした。列車名は同年12月に「すゞか」「かつらぎ」と命名されました。なお、大阪線・名古屋線の直通運転は、昭和34(1959)年に襲来した伊勢湾台風による被害復旧に併せて行われた軌間拡幅工事まで待つことになります。
広域の路線網を持つ近鉄の特急再開は、交通における戦後復興を印象づけるものでした。