日米大戦が始まったハワイでは、米本土の場合と少し様相が異なり、全日本人移民への強制移住策は採られませんでした。全人口の38パーセントを占めていた日系人の、ハワイ経済に与える影響を考慮して実行できなかったとされています。米本土同様、日系人の煽動者として危険視された人物らは逮捕され、大方が米本土の抑留所に送られ終戦を迎えることになりました。抑留者らの生活はジュネーブ協約で定められた捕虜待遇規定に護られ、抑留の身とはいえさほど不快なものではなかったといわれます。持て余す時間を手工芸品をつくったり、読書やスポーツで慰める者もありました。工芸品には、抑留所周辺に自生するサボテンの幹を利用した杖や花器、拾った石が素材の硯、木片でつくった将棋の駒(木工品)などバラエティーに富んだものがあります。