1941年12月7日(アメリカ時間)に日米大戦が始まると、アメリカ国籍を有する2世をも含めた総ての日本人移民は敵国人となりました。フランクリン・D・ルーズベルト大統領令第9066号により、アメリカ本土では西部沿岸3州(ワシントン、オレゴン、カリフォルニア)とアリゾナ州南部で生活する約11万2千人もの日本人移民が、内陸部に設けられた仮設住居に強制移住させられました。中でも、宗教家や学校教諭、日本人各種組織の中心人物らは日本人移民を煽動するかもしれない危険人物とみなされ、終戦時まで数カ所の抑留所に抑留されました。ニューメキシコ州のローズバーグ抑留所では、1942年8月から10カ月間にわたり、抑留者の間から自発的に日刊紙「ローズバーグ時報」が刊行され、所内での出来事を克明に記事に遺しました。