本例はチムー文化の象形壺で、胴部にカボチャを象った資料です。表面にいぼ状の凹凸がありますが、日本の「鶴首かぼちゃ」に似て縦長で首が曲がっています。中米から南米北部の熱帯地方が原産地といわれるニホンカボチャ(学名Cucurbita moschata)の一種で、この品種はペルーでは一般にロチャ/lochaと呼ばれています。
カボチャは、中央アンデス地帯の山岳地帯で紀元前7000年頃には栽培化されていたと考えられており、海岸地帯では紀元前3000年頃に栽培されるようになりました。カボチャはデンプンに富み、芋類、豆類に次いでカロリー価の高い果菜類で、栽培化されてからは中央アンデス地帯の主要な食糧であったと考えられています。日本へは19世紀の中頃にアメリカから伝えられたと言われ、第二次世界大戦中は代用食として使用されました。
チムー文化は、紀元後900年頃から1470年頃までペルー北海岸のチャン・チャン遺跡を中心に王国として繁栄した文化です。都であったチャン・チャンには1万人ほどの工芸職人が居住し、優れた金属製品や黒色磨研土器がつくられました。また、チャン・チャンでは600人ほどの専門集団が交易を統制していたと考えられています。さらに、チャン・チャンにはチムー王国の影響下にある地域の栽培植物や海産物が集められ、周辺や地方の中核都市などに再分配されていました。中央集権国家のようであったチムー王国では、カボチャも再分配されていたのかもしれません。