天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の生活文化箕面有馬電車絵葉書(みのおありまでんしゃえはがき)

地域:日本 1910(明治43)年
縦9.1cm
資料番号:

展示中 1-0

現在ではスマートフォンやカメラが普及し、誰でもどこでもいつでも気軽に簡単に写真を撮ることができますが、明治から昭和はじめにかけてカメラはまだまだ普及途上で、撮影のためのガラス乾板や紙焼き写真は大変高価で貴重なものでした。そうした点で写真が刷られた絵葉書は、庶民が気軽に入手できる「写真」でした。
絵葉書が盛んに制作されるようになった明治30年代の日本には、手軽で安価にカラー印刷する技術はまだなく、コロタイプ印刷されたモノクロの写真に、内職の女性が筆で一枚一枚色を塗る「手彩色」を施した絵葉書が重宝されました。これは手間と根気のいる作業で、手慣れた職人でも彩色するのは一日に数百枚程度であったといいます。
当時の写真撮影技術で、人物や車輌など対象物を鮮明に撮るには露光時間を長くする必要があり、コントラストの関係で空など明るい部分が白とびを起こして、雲などが写らずのっぺりと平板になることが多かったのですが、そういった空にも想像でグラデーションの着色がなされました。同じような写真でも制作する業者によって配色が異なり、限られた色数をいかに配色するかで、対象物にどのようなイメージを持っていたのか、また持たせようとしていたのか、その一端をうかがい知ることができます。
掲出は、箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が開業した明治43年に発行された手彩色絵葉書で、開業時の車輌、1形2号電車です。アメリカのゼネラル・エレクトリック社製の直流50馬力モーター4台と空気制動機(ブレーキ)を使用して、川崎造船所が製造しました。外装には当初から小豆色(阪急マルーン)の塗装が施されたと言われていますが、絵葉書を見る限り落ち着いた焦げ茶色で着色されています。
全長は13.56m、幅2.41m、二重屋根、木造で、乗り心地の良いボギー台車を使用し、定員は82名(座席40名)でした。内装は木目が美しいニス塗りの装飾窓や車内灯がしつらえられ、社章が入った上品な赤褐色のテレンプ(高級生地)張りの座席、リノリュームの床といった瀟洒な作りで、箕面有馬電気軌道の意気込みが感じられます。
路面区間に停留所がなかったため、同じく軌道法で開業した阪神電気鉄道1形や京阪電気鉄道1型のようにデッキを設けず、南海鉄道の電1形と同様にプラットフォームから直接車内に入る方式が採られ、吹き晒しの運転台だった当時の路面電車とは一線を画していました。