1920年代に入ると、ブラジルでは日本人移住者を対象に天理教の布教伝道が精力的に行われるようになり、各地で教会が設立されるようになりました。月毎に教会で行われる祭典“月次祭”では、男性が奏でる太鼓や拍子木・横笛などと共に、三曲[箏・胡弓・三味線]が女性によって奏でられていました。
ブラジルへは1960年代後半まで、船で50日以上もかかっていました。それだけに交易量も少なく、ブラジルへ渡った日本人移民たちは日本のものを入手することが容易でありませんでした。楽器類も例外でなく、信者たちは必要に迫られ、写真や記憶を頼りに自らの手で作らざるを得ませんでした。胡弓の材料には農薬や飴の空き缶が多く利用されました。