天理参考館では昭和初期の鉄道車輌を撮影した写真原板(ガラス乾板)を所蔵しています。ガラス乾板は、フィルムが普及する以前の明治から昭和にかけてよく使用されていた感光材料で、現在では精度や解像度が要求される科学目的などごく一部でしか使用されていません。
掲出写真1・2枚目は昭和15年に大阪電気軌道法隆寺線平端駅にてガラス乾板を用いて撮影されたキド2ガソリンカーです。天理教信者輸送を目的に、大正4年に営業を開始した天理軽便鉄道はレール幅わずか762mmの狭軌で、ドイツ製の小型蒸気機関車が1~2両の客車を牽引し運行していました。大正10年には大阪電気軌道(現在の近鉄)に買収され、平端から天理まで(天理線)は大阪電気軌道と同じ標準軌(1435mm)に改軌、電化されて大正11年には上本町から天理まで直通電車が走りました。平端から法隆寺まで(法隆寺線)は改軌も電化もされず、合理化で昭和3年から蒸気機関車の代わりに写真の軌道自動車(ガソリンカー)が導入されました。所要時間は11分、時速は30km弱でした。しかし戦時中に政府から不要不急路線の指定を受け、昭和20年2月10日で法隆寺線の運行は休止し、昭和27年に廃線となりました。
大正時代末に開発されたアメリカフォード社製T型エンジンを用いた小型乗合バスに対抗するため、蒸気機関車を運行していた小私鉄向けに、自動車エンジンを転用してレールを走る自動車、軌道自動車が国内の鉄道車輌メーカーで開発されました。キド2は、愛知県の日本車輌製造で昭和3年5月に製造された単端式(一方向のみ進行可能)ガソリンカーで、車内にはロングシートが設けられ、座席15人、立席15人の計30人乗りでした。キドは軌道自動車の略です。当初はフォードT型エンジンを搭載し、昭和6年にはパワーのある同社製A型エンジンに取り替えられましたが、戦争の激化でガソリン供給が滞ると、木炭ガス発生炉が取り付けられガスでエンジンを駆動しました。
第92回企画展「近鉄電車展Ⅱ」開催に関連し、実物大の鉄道車輌モニュメントを製作し、当館エントランスホールに設置いたしました(写真4・5枚目参照)。車体には木材・段ボール・厚紙等を使用し、水性塗料で濃茶・黒色に塗装、窓は塩ビ板を使用しています。当館館外研究協力員である加田芳英氏が残された写真や資料を基に、約3ヶ月かけて製作しました。※展示期間:2023年4月12日~6月5日(予定)
このような写真や模型から、地元の足として、小さな車体を揺らしながらゆっくりと進む鉄道車輌が、どのような人や思いを乗せて走っていたのか、思いを馳せるのも楽しいことですね。