天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の生活文化蹴鞠の装束 鞠水干「桃色紫片身替唐花菱亀甲丸金紗上」(けまりのしょうぞく まりすいかん「ももいろむらさきかたみがわりからはなびしきっこうまるきんしゃのかみ」)



昭和11年(1936) 京都
裄丈115.0cm
資料番号:66.2550

展示中 1-0

これは蹴鞠で着用する上衣で、水干と称しますが、実際の仕立ては直垂(ひたたれ)です。蹴鞠の装束が定められたのは室町時代末期から江戸時代にかけてのことです。それまでは、身分に応じた各々の服装で蹴鞠を楽しんでいたことが絵巻や文献からわかり、衣冠、直衣、狩衣など多岐にわたって華やかでした。水干は元々庶民が着るものでしたが、貴族も平安時代には自邸でくつろぐ際に着ていたようです。しかし直垂は武士の着物で、水干より下位に格付けていたため、直垂の名称を用いるのは抵抗があったのかもしれません。水干の通常の着方は上頸(あげくび)ですが、蹴鞠では襟を内側に折る垂頸(たりくび)で着用しました。これが直垂の形態に似通っています。現代に置き換えるとハイネックとVネックの違いですが、空中の鞠を見上げる動きが多い蹴鞠では、当然Vネックの方が首の動きがスムーズです。また、直垂には胸紐が付いているので、それを袴の帯紐に結びつけることで蹴鞠のプレー中の着崩れを防ぐことができます。袴も、膝をついても破れにくく通気性の良い葛袴を取り入れるようになるなど、蹴鞠の動きに即した装束が定まります。蹴鞠は優雅に見えて動きが激しいため、鞠水干は全て紗や絽など夏向きの薄くて軽い絹地で仕立てられ、単の帷子(かたびら)の上に着用します。スポーツ選手が冬でも半袖のユニフォームを着るのに通じます。
装束の色や文様は重要な意味を持ち、身分や技量に符合した厳格な決まりがあるため、自分の好みは通用しません。本資料は片身替という、半身ずつ異なる布をつなぎ合わしたもので、上級者のみに許された特別なものです。金糸で文様を織り出した金紗で、「桃色」と呼ばれる華やかな赤色と品格のある「紫」の組み合わせで大変優美な鞠水干です。このような装束は、蹴鞠の動きに合わせてきらめき、蹴鞠を一層華麗に見せる役割を果たしました。