鏡の歴史は古く、本セレクションで紹介している三角縁龍虎鏡をはじめとして、古墳時代の出土品で確認することができます。鏡台は、わが国最初の官立寺院である大安寺創建について記録した『大安寺伽藍縁起并流記(ならびにりゅうき)資財帳』(奈良時代)に「鏡台肆足(しそく)」という記述が見られ、調度品として存在していたことがわかります。平安時代には貴族の化粧道具として根古志(ねこじ)形の鏡台が絵巻物に描かれており、室町時代になると手で握る部分が付いた柄鏡が生まれます。柄鏡は鏡掛に掛けて使用し、使わないときは鏡箱に収納します。鏡を出しっ放しにするのは恥ずべきことでした。江戸時代になると、台座の上に鏡掛を取り付けた鏡台が生まれ、台座に引き出しも作られて、櫛や白粉を収納するようになりました。鏡台には図版のような鏡掛タイプと、台付きタイプの二種類があったということです。
現代の鏡はガラス製ですが、江戸時代なかばまでは金属製が主流で、姿を映すためには常に鏡面を磨く必要がありました。柄鏡に「八橋」という文字が見えます。八橋の伝説地は現在の愛知県知立市にあり、『伊勢物語』の第九段「東下り」の記述で有名です。主人公が東国に下る途中、三河国の「水ゆくかわの くもてなれば はしをやつわたせるによりて」“八橋”という地名がついたこの地で休憩していたとき、美しく咲く杜若を見て「かきつばた」の五文字を頭に「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思う」と、京に残した恋人を慕って歌を詠み、涙にくれます。国文学上名高い描写は、工芸品の意匠にも多用されるようになり、尾形光琳の八橋蒔絵螺鈿硯箱(東京国立博物館蔵)などが有名です。化粧道具である柄鏡の背面には、松竹梅や南天などの吉祥文様や、八橋のような古典由来の図柄が採用されました。