弥生三日は雛まつり。もう春がそこまで来ている、胸ふくらむ季節に到来する桃の節句です。それぞれの家庭で、様々な雛人形が飾られることでしょう。
雛人形の起源は「ひとがた」と言われています。「ひとがた」とは木片や紙を人のかたちに切ったもので、これで身体を撫でたり息を吹きかけたりして災厄やけがれを移し、水辺に流します。今でも全国各地に伝わる流し雛や、夏越(なごし)の祓いの行事がこれにあたります。嫌なことを“水に流して”おしまいにする、なかったことにするという考えは、こんなところに起因するのかもしれません。
古来祓いの道具であった「ひとがた」は、時代が下るにつれて流さずに手元に置いて飾り、娘の成長を祝う雛人形へと発展していきます。雛人形は随分昔、平安時代頃から存在したと思われるかもしれませんが、人々の経済力が安定する江戸時代になって登場しました。平安時代には「ひひなあそび」と称する、『源氏物語』で少女時代の紫の上が興じるままごと遊びはありました。
立雛に始まって、泰平な世が続いた江戸時代には幾通りもの雛人形が生みだされます。そのなかの一つのスタイルが、この次郎左衛門雛です。京の雛屋次郎左衛門が考案したと伝えられ、まん丸の顔にきょとんとした引目鉤鼻(ひきめかぎばな)の表情の愛らしさが当時の人々の心を捉えました。次郎左衛門は後に幕府御用達となり、江戸日本橋に移りますが、江戸でも宝暦年間(1751~1764)に大いに流行しました。本資料は比較的小さなサイズですが、旧大名家に伝わるものには子どもの等身大に近い人形もあります。今日一般的な三人官女や五人囃子は後に付随するもので、元々は男雛女雛一対の「親王飾り」と呼ばれるものでした。伝統的と思われがちな雛人形も、江戸中期から150年程の間に実に8通りぐらいのモデルチェンジがおこなわれています。いつの世も“美人”、“可愛い”の定義は移り変わるものですね。宝暦好みのこの丸顔は、果たして令和の皆様のお気に召すでしょうか?
最後に飾り方について触れておきます。男雛と女雛、一体どちらを右に飾るかということですが、本資料は京都製ということでもあり、関西風に配置しました。関西では伝統的に男雛を向かって右に飾ります。これは御所の紫宸殿(ししんでん)が南に面しており、天皇は南に向かって日出る東に座することに由来します。雛人形は宮廷様式を模したものという考えに従ったものですが、昭和天皇の即位式での立ち姿以降、関東では男雛を左に飾るようになりました。