2019年は平成最後の年であり、奇しくも干支のしんがりを務める亥年でもあります。トラが生息しない日本では、イノシシは「猪突猛進」の破壊力があり、クマと双璧をなす巨獣でした。さてさて、これらの獣たちを難なく御している人物とは?
そう、“気は優しくて力持ち”金太郎です。諸説あるものの、平安時代に実在した武者、坂田金時(公時)と言われています。源頼光に見出され、四天王の一人となって活躍します。この人は本当に強かった。当時としては長命で、55歳でなお九州の征伐を任されますが、赴く途中の岡山あたりで熱病にかかり惜しまれつつ亡くなります。
その後も不動の人気を誇り、江戸時代、遂に金太郎は伝説化しました。江戸っ子に特に好まれ、五月人形でも「十人が九人鍾馗(しょうき)か金太郎」と川柳で詠まれるほどの寵児でした。いずれもむちむちした肉体美を誇示するような諸肌脱ぎや半裸の腹掛姿で、てかてかと赤みがかった肌を光らせているのが定番です。赤は魔除け、疱瘡(ほうそう)除けの意味があり、玩具は一般的にしばしば赤く塗られました。それを「赤物(あかもの)」と称します。金太郎が題材では特別に「赤金(あかきん)」と呼ばれました。当時子どもの生存率は低かったため、たくましく、勇猛で、出世して長命だった金太郎にあやかりたいと願う親の思いが込められています。
これは宮城の郷土人形、堤人形です。藩政時代、陸羽街道の出入口として重要な地点であった仙台城下の堤町に伊達政宗は足軽を配置しました。その足軽たちが冬期の生計の支えとして作っていた「オヒナッコ」と呼ばれる土人形が、明治以降堤人形という名になりました。一帯は良質の陶土を採取でき、屋根瓦も盛んに生産されていました。堤人形は歌舞伎のモチーフも多く、おそらく参勤交代で江戸を往き来した足軽が江戸の流行を持ち帰って製作したと考えられます。東日本大震災を経て、平成末の現在も廃絶することなく作り続けられています。
最高時速50kmを誇るイノシシですが、鼻が敏感で、意外にも警戒心が強いそうです。「猪突盲信」や「猪突盲進」をするようには思えません。そのイノシシを平然と乗りこなすこの金太郎のように、平成の先の新たな時代を駆けたいものです。