天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の生活文化おもちゃ絵「妹背山吉野川の場組上」(おもちゃえ いもせやまよしのがわのばくみあげ)

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明治27年(1894)
大判一枚 歌川国秀
資料番号:95.0032

展示中 1-0

「おもちゃ絵」とはその名の通り、子どものおもちゃになる絵、この場合は浮世絵版画を指します。西洋の高い評価を得た歌麿の美人画や広重の風景画とは異なり、子どもが切り抜いて遊んだあとは捨てられる消耗品として近年まで浮世絵のなかでも軽視されたジャンルです。ここに描かれているのは当時の風俗や流行で、消耗品だからこそ、その一時代を映し出す鏡とも言えます。
「おもちゃ絵」の一分野が「組上絵」です。平面に刷られたものを立体的に組み立てます。上方では印刷物を“はんこ”(=版行・板行)と呼ぶので、「立版古」(たてばんこ)とも称します。お盆の供養の燈籠が起源で、江戸時代中頃に玩具化したと言われています。そのため夏の風物詩で、家の前に飾って灯を入れ、納涼でそぞろ歩く人々の目を楽しませました。「切組燈籠絵」(きりくみとうろうえ)ともいうのはこのためです。歌舞伎の名舞台や名所建造物など素材は多様で、小は一枚物から大は十二枚組という子どもの手には負えない大がかりなものまでありました。
この題材の妹背山女庭訓(いもせやまおんなていきん)は時代狂言で、元は明和8年(1771)1月に大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃です。大人気の演目となり、歌舞伎でも早速同年8月に大坂中の芝居で初演されます。吉野川を挟んだ妹山、背山に住む二つの家は領地争いから長年に渡って仲違いをしていますが、両家の息子と娘は愛し合うようになります。結局二人は結ばれず、娘は母の手にかかって果て、息子は忠義のために自刃します。その後両家のわだかまりは解け、娘の首は3月3日に雛道具と共に吉野川を渡って亡くなった息子の元へ嫁ぐという筋書きです。明治27年3月10日初日の歌舞伎座で、この組上絵に描かれている通りの配役で実際に上演されています。