当時、各街道の要所には関所が設けられ、とくに「入鉄砲出女(いりでっぽうでおんな)」といって、江戸に入る鉄砲と江戸から出る婦女子が厳重に取り締まられました。男性の旅は女性ほど難しくなく、往来手形(旅行者の旅行許可証と身分証明書を兼ねた通行書)だけで通行できる関所もありましたが、箱根や今切(いまぎれ)など重要な関所では関所手形が必要になることもありました。
この資料は江戸小網町の住人2人が伊勢参宮(いせさんぐう)のために旅した際の箱根関所宛の関所手形で、家主が記載事項を略して発行したものです。当初、庶民が往来手形を得るには複雑な手続きが必要でしたが、江戸中期以降、社寺参詣や湯治が流行し庶民の通行が多くなると、記載様式も簡略化され、名主・家主または檀那寺(だんなでら)の発行した手形でも通行が許されるようになりました。