京都の西陣の商家に、大正11年1月1日に誕生した男児の初節句に誂えられた五月飾りです。京都の中京にある丸平大木人形店の作で、気品ある顔立ちや高雅な衣裳裂など細部にこだわった優品です。
江戸時代初期の飾兜に付いていた人形が独立したものが五月人形(武者人形)です。人形の題材は、男児の健やかな成長を願って、歴史上や伝説上の英雄豪傑が多く、動的な迫力のあるものとなっています。関東は髭面の「鍾馗さん」が人気ですが、関西では荒々しさを好まず、人物を特定しない甲冑姿の「大将さん」など上品で静的な作風が主流です。この大将さんは、控える従者が白髪の老人であることから応神天皇と考えられます。老人が赤ん坊を抱き、女武者が立つ様式の五月人形も江戸時代から昭和戦前にかけて好まれましたが、これは女性が神功皇后で老人が武内宿禰、そして赤ん坊は応神天皇となります。足元に群れる鳩も応神天皇を暗示しています。鳩は応神天皇の神霊とされる八幡神の神使だからです。八幡神は軍神であり、鳩は勝利を呼ぶ鳥として武士の家紋に採用されるように、古来日本では平和と結びつきません。「尚武」に通じる五月人形に鳩が登場する謂われはそこにあります。戦後に西洋的価値観が流入した後、タバコのデザインに採用されるように、鳩は平和のシンボルとなったのです。
ともに飾られた神馬、虎、鳩はすべて毛植えの手法で、桐塑製の本体に絹や麻の菅糸を植え付けて毛並みを表現しています。この繊細な技法は江戸時代以来京都の特産でしたが、現在では廃絶してしまったため、いずれも貴重な資料と言えます。五月人形の脇役として動物を飾るのも関西の特徴です。