大正14年(1925)生まれの男児のために誂(あつら)えられた、五月人形飾りです。天保2年(1831)刊行の京都の有名店ガイドブック『京都商人買物独案内』に「小間物諸色手遊人形問屋」として掲載されている清水屋製です。冨小路四条下ルに店を構え、雛御殿なども扱いました。
この大将は源義経です。平治物語絵巻に登場するような美々しい大鎧姿で、戦国時代の武将の甲冑に見られる実戦向きではありません。悲しい最期を迎える名将ですが、鞍馬山での修行や五条橋上での弁慶との出会いなど、京との関わりの深さゆえか人気が高く、武者人形としてよく取り上げられています。傍らに控えるのは、絹糸の毛並みも艶やかに、華麗な馬具一式を装着した見事な神馬です。このような毛植細工の鳥獣類は京の特産でしたが、戦後はその繊細な技術も廃絶しました。寅年生まれに限らず虎の張子を並べるのも関西の特徴です。「千里往って千里還る」虎の力強さを男児に託したのでしょう。
桃太郎や金太郎の台人形は親類縁者から初節句のお祝いに贈られるもので、一緒に飾りました。元気に桃から飛び出し、熊や鯉にまたがって強い視線を投げる凜々しい姿の人形は、いかにも健やかな男児の成長を願ったものと言えます。現代の端午の節句では、人形よりも甲冑一式を飾ることが主流になっています。歴史教育の変化で英雄豪傑に親しみを抱きにくい一方で、男の子に人形はどうかという近年の風潮が反映されているように思います。