日本で初めて食堂車営業を開始したのは山陽鉄道(現JR山陽線など)で、明治32(1899)年のことです。瀬戸内航路の汽船との熾烈な競争に打ち勝つため、打ち出したサービス向上策の一つでした。その後、同34年からは官設鉄道が新橋神戸間において営業を開始、同36年の日本鉄道など、各地の私鉄にも食堂車は登場するようになりました。そして同39年の鉄道国有法の公布により主要鉄道会社が買収されると、国有鉄道のもと、全国で食堂車営業がおこなわれるようになります。食堂車が営業を開始した当初、利用は一等客に限られており、上流階層の交歓場としての役割も果たしていたようです。
1枚目の写真は、鉄道省・日本食堂車協会発行の5枚組絵葉書セット「汽車の旅」の1枚で、外袋には第7列車(東京~下関間)で販売していたスタンプが押印されています。
右側の和服女性は、明治から昭和期に映画で活躍した人気女優栗島すみ子(1902~1987)。左側家族連れの洋服着帽の女性も女優で、及川道子(1911~1938)です。ウェイトレスは画面の中だけで計5名も配置されており、撮影用にショーアップしたのでしょう。窓の外の風景も合成(はめ込み)と考えられます。制作者が食堂車をどのようなイメージとして伝えたかったのか、その一端がかいま見え、大変興味深い絵葉書と言えます。なお、2枚目の写真は同じ車輌・モデルを使用し製作した構図の異なる食堂車絵葉書(丹那トンネル開通記念 昭和9年)です。