天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の生活文化財子寿燈座(ざいしじゅとうざ)



台湾 台北市士林
19世紀後期
全高63.8㎝
資料番号:83-68

展示中 1-0

美しい装飾が施された台の上に、「恩栄」と描かれた旌門(しょうもん 人の善行を国家が表彰して世に知らせるための街の門)と、燈明皿を掲げる6名の脇侍(きょうじ 本尊の左右に控える存在)が乗る燈明台です。家にまつられた神々や祖先を祭祀する時に、この財子寿燈座に火を灯して供物をそなえます。
財子寿はそれぞれ「財宝・子宝・長寿」を意味することから、中央に見える3名の人物は向かって右から「財=福神」、「子=郭子儀(かくしぎ)」、「寿=彭祖(ほうそ)」と思われます。右側の福神は、一般的には土地鎮守の神である土地神のことを指します。これは各村落の廟に祀られていた神で、「土地公・土地爺・福徳正神」などとも呼ばれます。村の守り神である一方、各家の行為を巡視し、時には冥界の主宰者から命じられて魂を抜き取ることもあると信じられました。白い髭(ひげ)を生やし、やさしい福相をした老人の姿で表現されることが多いです。
また、中央の郭子儀は唐時代(618-­907年)の武将で、子供や孫に恵まれたことから、子孫繁栄の象徴になった人物です。
左側に立つ彭祖は、800歳の長寿を保った地仙(ちせん 昇天せず地上で暮らす仙人)で、左手に長寿の象徴である桃を持っています。中国の戦国時代(前403­-前221年)後期には、既に長生者としての彭祖像が定着していたと言われます。
前漢時代(前202-­後8年)に劉向が書いた神仙説話集『列仙伝』に、「彭祖は殷(いん 前16世紀頃-­前11世紀頃)の大夫(たいふ 職名)であった。夏(か 中国最古の王朝)を経て殷代の末年にいたったが、年は八百歳余りになり、いつも桂(かつら カツラ科の落葉高木)や霊芝(れいし 霊妙な働きのあるキノコ)を食べ、導引(どういん 特殊な体操や呼吸法などを行う養生法)の術に秀でていた」との記述があります。