福島県会津若松に伝わる張子玩具で、東北地方の郷土玩具のなかでも古い歴史を持つものの一つです。一説には、豊臣秀吉によって伊勢の松阪から会津に移された蒲生氏郷(がもううじさと)が、京から職人を招いて、張子の技法を下級武士に習得させたことに始まると言われています。隣接する三春藩の張子も有名ですが、ほぼ同時期に相前後して発生したようです。会津若松の張子は主に赤と黒で彩られ、牛や犬といった動物をモチーフにしたものは四輪の車付台車に乗っているのが特徴です。子どもたちがこれを引いて遊んだことでしょう。第二次大戦後にはこの車がなくなりました。
「ベコ」はこの地方の方言で牛を指し、赤ベコとは赤塗りの首振り牛で白の縁とりと黒い斑点が描かれています。全国各地に分布する郷土玩具でも、赤く塗った「赤物」と称するものが多数存在します。これは疱瘡除けの玩具です。種痘が発見されるまでは疱瘡(天然痘)は死に至る危険な病気でした。特に幼い子供がかかると死亡率が高かったのです。疱瘡にかかると全身に発疹が出て赤くなることから、人々は全身真っ赤の疱瘡神がとりついて発病すると考えました。赤いものを好む疱瘡神が喜びそうな、赤く塗った玩具を子どもの傍らに置いて、子どもにはとりつかないように願ったのです。さらに会津若松の赤ベコにはもう一つの逸話があります。昔、徳の高い僧がお堂を建立する際、どこからともなく一頭の赤牛が現れて、材木を運ぶなど大層働きました。いよいよお堂が完成したとき、その牛はお堂の前で石となってその後も僧に仕えたということです。松阪から移った氏郷は、会津鶴ヶ城建造や城下町整備にあたって、昔から伝わる伝説を国づくりに利用したのかもしれません。その後まもなく蒲生家は滅び、幕末まで続く会津藩のなかで赤ベコは受け継がれていきました。