古墳時代前期には、緑色の石で作った腕輪形の製品が主要な副葬品でした。「石製腕輪」ではなく「腕輪形石製品」と呼ぶ理由は、腕を通すには孔が小さすぎる、かさばったり割れたりするので実際に身につけていたとは考えづらい、ということです。はじめから装身具としてではなく副葬品として作った、宝物でした。
腕輪形石製品は3種類があり、左の2点は車輪に似ているので車輪石(しゃりんせき)、右の7点は石の腕輪という意味で石釧(いしくしろ)と呼びます。いずれも小さく割れてしまっていますが、元は環状でした。細かな線刻があり、赤色の顔料が付着していることが分かります。
出土地である櫛山古墳は宮内庁が崇神天皇陵としている大型前方後円墳、行燈山古墳(全長242m)に隣接する全長155mの大型古墳で、前方後円墳の後円部にもうひとつ、「後方部」とも呼べる短い方形部が付いているという、特異な墳形です。昭和23~24年に発掘調査が行われて、後方部には約4m四方にわたって厚さ30㎝以上も白い小石を敷き詰めた箇所が見つかり、小さく割れた腕輪形石製品が多数出土しました。腕輪形石製品の個体数は245点以上に上り、全国で最多です。敷き詰めた白い石の上で腕輪形石製品を割ってまくという、独特の祭祀が行われたと考えられます。
この9点の腕輪形石製品を当館が所蔵したのは昭和41年ですが、もっと前に現地で採集されていたと思われます。左上の石釧は、発掘調査で出土した破片と接合することが分かっています。