ガラス容器は、その製作が困難なこともあって大変貴重なものでした。ところがローマ時代の紀元前1世紀にシリアやイスラエルなどのレヴァント地域で、吹きガラスという画期的な技法が開発されました。それにより大量生産が可能となり、ガラス製品は安価で手にすることが可能となりました。
本資料はそれから4、5世紀ほど経った頃のガラス水差です。この頃には庶民が普通に手にする容器となっていました。下部が張り出した球形の胴部に細長い口頸部と1つの把手、脚台を持ちます。緑色がかった半透明ガラスを用いています。宙吹きで成形した後、口縁部を開き口縁直下と頸部下部に紐ガラスを巻き付けているのです。溶かした別のガラスで後部から肩部にかけて把手を付け、さらに底部にも溶かしたガラスを付けて専用道具で挟みだして脚台としています。これら一連の作業を、ガラスが冷えないうちに一気に仕上げているのです。
当時は銀製品が価値ある容器で、銀製の水差も重宝がられていました。本資料はそうした銀製水差をガラスで模して作られたものです。頸部に糸ガラスを巻き付けているのも、把手の上部が突き出して指当てとなっているのも銀製品の模倣です。
このような水差はローマやサーサーン朝など西方ではよく知られていた器形ですが、東方では意外にもありませんでした。シルクロードを通して中国の唐に伝わり、胡瓶(こへい)としてもてはやされることになります。