日本の瓦は、今から約1400年前に飛鳥寺を建立するためにやって来た朝鮮半島の百済(くだら)の技術者が、瓦の作り方や文様の施し方を伝えたことにはじまります。そのため百済の瓦と飛鳥寺創建当初の瓦はよく似ています。また、百済の瓦の起源を求めると中国に行きつきます。中国の瓦は、紀元前11世紀に興った西周(せいしゅう)という国で使われていたものが最古といわれ、陝西省(せんせいしょう)の鳳雛遺跡(ほうすういせき)出土の平瓦に見ることができます。その平瓦は古い時期の土管の製作方法と共通し、土器作りの延長上で考案されたようで、さらに平瓦を額縁状に葺いた屋根も想像されています。 西周中頃から戦国時代にかけては、独特の意匠(いしょう;デザインのこと)を施した軒先瓦(建物の軒先に葺かれる瓦)や、棟端を飾る鬼瓦が誕生し、徐々に屋根を豊かに飾り始めます。掲出の瓦はその時に使われた軒先瓦で、半瓦当と呼ばれます。 半瓦当は、西周で考案され、戦国時代(前403〜前221)に盛行する軒先瓦で、瓦当部(文様を施す面)の形状が円を半裁(はんさい)したような半月形をなすことからこのように呼ばれます。現在呼称される軒丸瓦は、丸瓦に円形の瓦当部が付くものを指しますが、瓦当部の形状が円形か半円形なのかの違いであるため、半瓦当も軒丸瓦の一種と考えることができます。言い換えれば半瓦当付き軒丸瓦と呼んでもいいのかもしれません。さらに瓦当部には、殷(いん)や周の伝統文様である饕餮文、山形(雲)文、双竜文などが施され、掲出の半瓦当にも瓦当部に饕餮文が施されています。 饕餮とは、中国神話に登場する怪物(凶獣)です。その形は、胴体は羊で顔は人間、目はわきの下についており、虎の牙と人間の爪を持つともいわれます(『山海経』北山経の「狍鴞(ほうきょ)」をこれに当てる説があります)。瓦当部にはその顔の部分が表現されています。饕餮の「饕」は財産をむさぼる、「餮」は食物を喰らうの意味があり、何でも食べる怪物というイメージから転じて、魔をも喰らうものという考え方が生まれました。そのためこの文様には、魔除(まよけ)の意味があると考えられるようになります。厄(わざわ)いを恐れる権力者達にとっては、格好のアイテムだったにちがいありません。