東大寺山古墳は、奈良盆地を見下ろす標高約130mの丘陵上に築かれた全長約130mの前方後円墳です。墳丘の規模は大型というほどではなく、「天皇陵」と称されるような大型前方後円墳が連なる天理市のオオヤマト古墳群からは北に約5㎞、奈良市の佐紀盾列古墳群からは南に約10㎞離れた位置にあります。約500m北には古代豪族の和爾氏が住んでいたと考えられる古墳時代の集落遺跡、和爾・森本遺跡があるので、和爾氏と関係がある古墳と想定されています。
1961年から62年にかけて埋葬施設の発掘調査が行われ、中国後漢の年号「中平」から始まる銘文が刻まれた鉄刀をはじめ、他に類例のない鉄刀の環頭飾りや260点もの銅鏃など多種多様な副葬品が出土しました。これらの副葬品は2019年に国宝に指定されました。
1966年には埴輪列を検出するために墳丘の発掘調査が行われ、朝顔形埴輪と円筒埴輪が約100個体出土しました。出土した埴輪には、赤味が強く透かし孔が円形だけの個体と、黄味が強く円形と方形の透かし孔がある個体があります。材料となった土の成分を分析したところ、赤味が強い個体は東大寺山古墳周辺の土で作られており、黄味が強い個体は約10㎞離れた奈良市の佐紀盾列古墳群周辺の土で作られていることが判明しました。この埴輪は黄味が強い一例です。
埴輪のように大きな土製品は専門の工人が作るので、作り方や使った道具の研究から、工人が古墳の近くに移動して作る場合があったことがわかっています。しかしこのように10㎞も離れた所の土で作った埴輪は、完成してから運んで来た可能性が高く、古墳時代の埴輪生産体制に関する貴重な資料です。