この冑(かぶと)は写真の左側が正面です。先端が尖って角になっていて、額(ひたい)との間に三角形の空間を作ることで額を守る構造です。この尖った部分を「衝角(しょうかく)」と呼びます。衝角から頭頂部までを覆う複雑な形の鉄板と、中央と裾(すそ)を巡る2本の帯状の鉄板が全形を形作っており、間には37枚もの細長い鉄板が少しずつ重なりながら並んでいます。すべての部材は、直径4㎜ほどの鉄鋲(てつびょう)で頑丈に留められています。これより古い時期に作られた冑は、鉄板を革紐で綴じ合わせて組み立てていたので、鋲を用いるという技術革新によって丈夫な冑が作れるようになりました。古墳時代の鉄製冑は約300個出土しており、いくつかの型式に分けられていますが、この冑のように細長い鉄板を用いる例は、わずか数例しかありません。
久津川車塚古墳(くつかわくるまづかこふん)は全長180mの前方後円墳で、明治時代に現在のJR奈良線の工事に際して多量の副葬品が出土しました。副葬品には銅鏡7面や大量の玉類、そして多数の鉄製甲冑がありましたが、残念ながら出土品はその後分散してしまいました。当館にはこの冑だけがあります。久津川車塚古墳がある地域は、大阪や京都から奈良盆地へ向かう交通の要衝(ようしょう)にあたります。要所に位置してヤマトを守った、地域の首長の墓と考えられます。
なお、この冑は60年以上前の保存処理のままで保管していたため、2016年度に朝日新聞文化財団の助成を受けて、新たに修復と保存処理を行いました。