天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の考古美術ラスター彩花鳥文皿(ラスターさいかちょうもんさら)

イラン 13~14世紀
口径22.8㎝
ラスター彩陶器
資料番号:E53

展示中 3-17

灰白色の胎土に不透明な白濁釉(はくだくゆう)でおおい、その上から赤茶色のラスター彩と藍釉で彩色した皿です。表面には藍釉で同心円を描いて3段に分けています。見込み内側には聖樹と双鳥が、中央にはツタ状の植物文、口縁部には縁で囲まれたパルメット文が配されています。
ラスター彩とは一度焼いた白釉の表面に酸化銀もしくは酸化銅を含んだ顔料で絵付けしてから、再度酸素の少ない状態(還元炎)で焼成した上絵付陶器です。酸化金属が還元されることで、金属的光沢を放ちます。こうしてできた輝きのある陶器は、ラスター彩と呼ばれています。ラスターとは英語で「光輝、光沢」を意味します。
ラスター彩はイスラーム王朝であるアッバース朝の9世紀に出現します。奢侈(しゃし)を禁じるイスラーム教の教えの遵守と金属、特に銀の確保という意味から、王朝は金銀器使用の禁止またはその制限に踏み切ったのです。しかし人々の金属器への愛着は消え去らず、陶器に金属的光沢を求めました。その結果生まれたのがラスター彩で、まさに当時のイスラーム社会の申し子とも言えます。「必要は発明の母」と言いますが、その前に「欠乏と」を加えても良いかもしれません。
アッバース朝のイラクで金属器の代用品として出発したラスター彩も、次第にそれ自体として珍重され高度に発展して行きます。その後11~12世紀ファーティマ朝のエジプトで生産されるようになりますが、そこで終わると今度はイランで12世紀後半から生産されるようになります。ラスター彩という特殊な技術は特定の陶工集団が独占していたようで、混乱がおきると他の地域へ移住し、そこで手厚く保護されて生産していたようです。移住して定着した一定期間に隆盛するという傾向があります。
12~14世紀のセルジュク・トルコ朝とイル・ハン朝時代が最盛期です。本例もその時期のものです。