車馬は中国殷周時代の墳墓から発見されることがあり、当時すでに乗車の風習があったことが分かります。東周時代になると、車上に新たに蓋を取り付けるようになり、漢時代には車馬の部品が金メッキされるなど、繊細かつ装飾性の富んだものに変化します。
蓋弓帽とは蓋の傘骨、すなわち弓の先端にかぶせる飾金具のことで、金メッキされた小さな銅管の一端に四弁の花飾りをあしらい、なかほどに傘布を張るための鉤手がつきます。この種の遺品は中国本土を除くと、朝鮮半島やシベリアのアルタイ地方などから出土し、日本では山口県下関市にある稗田地蔵堂の弥生時代石棺墓から出土した例が唯一です。たとえ、車馬の一部品であっても、貴顕のシンボルとして充分に通用したのでしょう。