古代の西アジアでは、建築物は日乾レンガで作られていました。壊れると、崩れ落ちた日乾レンガを平らに均してから、その上にまた日乾レンガで建物を造ります。同じ所に造るわけですから、当然丘のように高くなってゆきます。こうしてできた遺跡をテルと呼びます。テル・ゼロールも南北二つの丘からなっています。
このテル・ゼロールを日本オリエント学会が1964年から1966年にかけて発掘調査を行いました。調査団長であった大畠清氏(当時東京大学教授)は報告書で、調査団派遣に尽力された三笠宮殿下に謝意を述べられるとともに、当館創設者より温かい援助と精神的支持を受けたと記されています。その時出土した遺物はイスラエルと協議の上、両国で折半されました。持ち帰った遺物は永らく天理参考館に寄託されていましたが、2003年に日本オリエント学会から寄贈されました。学術発掘による出土遺物なので、その資料価値は計り知れません。
本資料もその中の一つです。轆轤(ろくろ)を用いず、手捏(てづく)ねで成形されているため、器形は非対称的で歪(ゆが)みがあるのがお分かりでしょう。表面が細かい良質の土(スリップ)で被(おお)われ乳白色を呈(てい)していることから、ミルクボウルとも呼ばれているキプロス製の土器です。当時キプロスは銅の一大産出地でイスラエルとも交流が深かったようです。テル・ゼロールの後期青銅器時代の遺構から青銅生産跡が検出されています。そこには炉跡、坩堝(るつぼ)、土製鞴羽口(ふいごはぐち)、そして大量の青銅屑が発見されています。本例はこうした青銅生産にキプロスが関連していたことを示す貴重な資料と言えます。