簋(き)という祭祀において穀物を盛るための青銅器で、この資料は19世紀末から20世紀始めに陝西省扶風県康家村の窖(あなぐら)から出土したとされる一群の青銅器の一つです。西周時代の末期、都のあった現在の陝西省を中心とする地域でこのような青銅器がまとめて窖に埋められている例が数多く見られます。こういった青銅器は窖蔵青銅器(こうぞうせいどうき)と特に呼ばれることがあります。窖蔵青銅器がなぜまとまって埋められていたかについては諸説ありますが、一説には西周滅亡時の動乱の際に大切な青銅器が敵に奪われないように地中に埋めて隠したため、といわれています。
写真で示した青銅器は、ちょうど西周王朝が内乱とそれに伴って侵攻してきた遊牧系民族・犬戎(けんじゅう)によって滅ぼされてしまった頃のもので、とても美しい西周後期の典型的な蓋付きの簋です。器の内側に36文字の銘文が刻まれており、その銘文によると圅皐父(かんこうふ)という人物が周の王に嫁ぐ娘のために一揃えの銅器を作ったことが記されています。周王室と姻戚関係を結ぶということは圅皐父はかなりの有力者であったはずですが、この人物ついて司馬遷の『史記』には全く記されていません。司馬遷が『史記』を記す数百年も前の人物ですから、すでに忘れ去られていたのかもしれません。しかし、西周末期の厲王(れいおう)と宣王(せんおう)の二代に仕えた人物と考えられており、周の政治や軍事の中枢に位置した重要人物だったのでしょう。もしかすると『詩経(しきょう)』や『竹書紀年(ちくしょきねん)』の中に登場する有力者「皇父」や「皇父卿士」と同一人物であったのかもしれません。
歴史書は後世に書かれたものですが、青銅器に刻まれた銘文(金文)はリアルタイムの記録です。このような記録は、歴史書に記されなかった人物や興味深い過去の出来事の一端を我々に教えてくれるのです。