全国の縄文時代の遺跡からは、動物の骨や鹿の角で作った髪飾り、石や土で作った耳飾り、動物の牙や石で作った首飾りが多数出土していて、当時すでに現代と同じような装身具が揃っていたことがわかっています。装身具のなかでも貝輪は、ほかの装身具類よりも出土する遺跡も多く、一つの遺跡から出土する個数も多いので、縄文人にとって本当に身近な装身具だったと考えられます。大人の手が通りそうにないほど小さな例もあるので、子どもの時からつけていたのでしょう。
貝輪の素材には、巻き貝も二枚貝も牡蠣も利用しました。貝は食料だったので、素材は豊富にありました。そのなかで、この貝輪は特別な素材で作っています。貝の種類はオオツタノハという巻き貝の一種で、中心から放射状に大きな凹凸と小さな凹凸が混じって広がることが特徴です。暖かい所に生息する貝で、日本では東京都の伊豆諸島南部より南と、鹿児島県の大隅諸島より南の島々にしか生息していません。この貝輪の出土地は愛知県の渥美半島にある貝塚なので、近い方の伊豆諸島から持って来たとしても海路を約300㎞運ばなければなりません。身近にある貝でも貝輪は作れるのに、大変な苦労をして貝殻を運んだことがわかります。
オオツタノハ製の貝輪は、北海道から愛知県の遺跡から約200点出土しているだけで、一遺跡からの出土数は数個です。希少な貝輪であったと言えます。縄文人にとってオオツタノハは、苦労をして運ぶだけの価値がある貝だったのでしょう。