西日本は東日本に比べて縄文時代の遺跡が少なく、土器の出土数も多くありません。東日本ほど派手な飾り付けを施したものはほとんどなく、しかも小ぶりのものが多いのです。西日本では中期末から後期初頭にかけて、磨り消し縄文という施文技術が確立されました。写真左側は口縁部が山形に波打ち、その外面には縄文を施しています。頸部から胴部にかけては、S字状につながる渦巻き文を沈線で描いています。磨り消し縄文はまだ確立されておらず、古い様相を残しています。右側は同様に山形の口縁部を持っていますが、区画がより発達しています。頸部から胴部にかけては、磨り消し縄文で表された涙滴形の文様がめぐらされています。本例は、近畿地方で磨り消し縄文が採用されはじめる頃の土器の変遷を知る上で、大変重要な資料となっています。