新羅や百済で火葬がはじまったのは7世紀中頃から末にかけてのことです。日本では文武天皇4年(700年)に、はじめて僧道昭が火葬にふされたとあります。おくれること数十年です。新羅では仏教の隆盛につれて火葬の風習が広まり、墳墓の形式が横穴式石室から火葬墓に変わります。これは厚葬から薄葬への思想的転換でもありました。骨壺は、慶州盆地周辺の南山や吐含山・仙桃山の山麓に埋納されました。通常、素焼きの土器を用いますが、なかには美しい施釉陶器もあります。骨壺を3期に分けると、中期のものが最も華麗です。器面に押型の施文具で、花形文や菱形文・連続竝列文などの各種文様を施しています。壺の中には火葬骨と共に、開元通宝などの銭貨を入れたものがあります。