これは今から3500年ほど前、新王国時代のファイアンス製小鉢です。ファイアンスというのは陶器より先に出現した、釉(うわぐすり)のかかったやきものです。主原料が粘土でないことで陶器とは区別されます。釉と成分的に近い石英の粉で成形されています。焼いた後でも収縮率にあまり変化がないため、釉が剥離(はくり)することがありません。粘土で陶器を作るほどの技術はまだなかったのです。
映えた青のバックに紫で文様を描いています。口縁部には梯子文(はしごもん)が、そしてその直下には鋸歯文(きょしもん)が巡っています。見込みには睡蓮と思われる水草の周りを4匹の魚が泳いでいます。水生植物や魚など、水に関連する文様が描かれた青色のファイアンス製鉢は新王国時代初期に特徴的なものです。青は古代エジプトでは生命の色とされていました。墓から多数出土していることから死者のあの世への復活・再生を祈った副葬品と考えられます。
水に関連する文様ばかりを意図して描いていることから、研究者は神々が現れる以前に存在した世界とされる「原初の水=ヌン」を表しているのではないかと考えています。それでこの種の鉢を「ヌン鉢」と呼んでいるのです。古代エジプトの創世神話では、神々が誕生する前は混沌とした「原初の水」の状態でした。そこから創造神アトゥムが現れたのです。アトゥムは男神乾気シュウと女神湿気テフヌトを創造します。二神は交わり、大地の男神ゲブと天空の女神ヌトが生まれたのです。