遮光器土偶は、歴史の教科書に必ずと言っていいほど載っていますし、イラストやキャラクターに使われることも多く、縄文時代の土偶の代表のように思われがちです。
確かに遮光器土偶は、縄文時代の終わりに生み出された、縄文人の土の造形技術の高さを示す逸品と言っても過言ではありません。高さが30㎝もある複雑な人形で、目玉が顔の大半を占め、胴体は流麗な文様で埋め尽くしてあり、その上中空で土の厚さは4㎜ほどしかないのです。セレクション内で紹介している青森県三戸町梅内出土の遮光器土偶はまさに典型例です。
高い造形技術を使って生み出された遮光器土偶でしたが、変化が訪れました。この土偶がその一例です。最大の特徴だった目玉の存在感が一気になくなったかわりに、遮光器土偶ではまったく目立たなかった鼻が、目玉より上に来てつんと上を向いて、一番目立っているほどです。文様もシンプルになって、複雑な文様で埋め尽くされていた胴体はほぼ無文になっています。でもよく見ると、肩のところがアメリカンフットボールのユニフォームのように膨らんでいることや、腕がとても短いこと、胸に逆三角形の文様があること、そして中空であるという点は、引き継がれているのです。
この後には、顔全体が小さく平面的になって目鼻口のどれも目立たなくなり、肩の膨らみもなくなって、高さ10㎝程度と小型になり、そして中実に変化しました。その頃に東北地方は弥生時代を迎え、土偶そのものが作られなくなっていきました。