天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の考古美術靫形埴輪(ゆきがたはにわ)

a_j_yukihaniwa

a_j_yukihaniwa

群馬県太田市 古墳時代後期
高95.4cm 土製品
資料番号:2004A263

展示中 1-0

靫とは矢を携行する時に用いる矢入れ具のことです。矢の先を下にして納め、腰に下げるものは胡禄(ころく)といい、矢の先を上にして入れ、背に負うものを靫と呼んでいます。
写真は靫を表現した埴輪で、4本の矢を納めた様子が表現されています。一見、奴凧(やっこだこ)のようにも見えますが、矢筒から外に向かって伸びる羽状の板は背負い板を表現したものです。実際には数十本の矢が入れられました。
この奴凧形をした靫は九州の装飾古墳にも表されていて、熊本市の千金甲1号墳では石室内部に巡らせた石障の奥壁に、この種の靫が4個浮彫りされていました。このほか、熊本県の横穴の壁面にも靫が表現された例がいくつか知られていて、錦町の京ケ峰横穴1号墓では、本例と同様に4本の矢の入った靫が表現されています。
靫は本来、革製や織物製であったため残りが悪く、全容のわかるものは限られています。古墳から出土するものは、表面が様々な紋様で飾られ、実用的な武具というより、武威を象徴するものとして儀礼に用いられたものと考えられています。後の律令制に宮城諸門の警護などにあたる官を靫負司(ゆげいのつかさ)とするのも、靫のそうした性格を反映したものと考えられます。