天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の生活文化連絡用2等補充片道乗車券(れんらくようにとうほじゅうかたみちじょうしゃけん)

地域:大阪 1898(明治31)年
横3.0cm 河陽鉄道

参考:河南鉄道片道乗車券 1914(大正3)年 (写真2枚目)
資料番号:

展示中 1-0

掲出は、明治28(1895)年に官設鉄道が制定した縦型補充券の様式を元に作成された、連絡用2等補充片道乗車券です。官設鉄道連絡指定駅すべての乗車券を常備することは現実的ではないため、行き先を手書きで記入する補充券が用いられていました。発駅は道明寺、着駅は記入されておらず未発行ですが、下部の報告片(駅で精算に使用する)は切り取られています。当館で収蔵している近畿日本鉄道(近鉄)最古の乗車券です。
近鉄は大正3(1914)年開業の大阪電気軌道が母体となって規模拡大を行ってきた会社で、その過程で数々の鉄道会社を合併・買収してきました。現在の近鉄営業路線で最古の路線は、道明寺線~南大阪線の柏原~古市を開業した河陽鉄道で、開業は明治31(1898)年3月24日、大阪電気軌道開業の16年も前のことです。この河陽鉄道は、明治25(1892)年に湊町~奈良を全通させた大阪鉄道(明治33(1900)年関西鉄道に合併、明治40(1907)年に国有化)の柏原を起点に、東高野街道にそって敷設し高野山参詣旅客の輸送を目論んでいましたが、明治31(1898)年に途中の富田林まで開業させたところで資金難に陥り行き詰まってしまいました。大阪の財界有力者が引き受けて再建することとなり、河陽鉄道は開業後1年で会社を解散、明治32(1899)年5月10日、新会社河南鉄道に一切を売却し、河南鉄道が長野(現河内長野)まで開通しました。その後、さらなる発展のため大阪への独自の路線敷設の計画を立て、大正8(1919)年には会社名を大阪鉄道に変更、現在の南大阪線の基礎となりました。河陽鉄道はわずか1年あまりの短命でしたが、近鉄最古という不動の地位は揺るぎません。

本資料は、東京神田で開催の第182回天理ギャラリー展 歴 鉄 日本最大の私鉄「近鉄」110年の軌跡(2024年9月7日~12月7日)にて展示中です。