台湾に古くから住んでいた先住民のうち、主に西部平地の人びとは平埔族(へいほぞく)と呼ばれ、長らく固有の文化と慣習のもとに暮らしていました。この肖像画は、10余りある平埔族のうち、台中市近郊の岸裡(がんり)に本拠を置いていたパゼッヘとよばれる民族グループで、その首長一族であった潘士興(はん しこう)が描かれたものです。士興の生没年は判っていませんが、18世紀後半の作とみなされます。
台湾は、1683年から中国大陸の清朝によって統治されるようになりました。パゼッヘの人々は進んで清朝に忠誠を尽くしました。特にパゼッヘの首長、潘士興の父・敦仔(どんさい)は、度たび清朝に対する他の先住民グループの反乱を抑えることに協力しました。敦仔は1758年には清朝政府より「潘」という姓を与えられ、乾隆帝より肖像画の授与や、様々な恩賞を受けました。清朝政府による台湾支配初期、潘家一族は台中市近郊で最も栄華を極めました。息子の士興の肖像画も、清朝に仕えた功績から描かれたと考えられます。
シャコ貝の珠が付いた赤い帽子を被り、豪華な文様が散りばめられた高級官吏が着用する礼服を纏(まと)っています。礼服の胸部には補子(ブーヅ)という官位を表す刺繍が施されています。この礼服には白鷺(しらさぎ)とみられる鳥が描かれており、「文官六品」という官位を示しています。また、この肖像画から士興は爪を長く伸ばしていたことがわかります。長い爪は農作業などをしない裕福な身分を表しています。