よろいかぶとを身に付け、大小の刀を腰に提げ、それぞれ矛と弓を持つ、平安時代頃の武装した人を象っています。
明治天皇は東京で崩御しましたが、御陵は遺言に従って京都に築かれました。その際の記録に「山陵には古儀を折衷して御鎮護の御趣旨を以て埴製武装人形四躯を四方に埋葬し給うこととなり…」とあります。さらに「埴製武装人形」は彫刻家の吉田白嶺が制作し、「総高三尺、矛を執れるもの、弓を持てるもの各1雙、すべて中世武将の扮装」の埴製武装人形が明治天皇陵の「御槨(おんかく)に近く四隅に埋められた」と続きます。そして記録には、この2点そっくりの「埴製武装人形」の写真が載っています。当時この土人形は広く話題となったらしく、絵葉書が発行されたり、小型の模造品が販売されたりしました。
この2点は、まさに記録どおりの人形です。御陵に埋めるために作られた人形が館蔵品となっているのは変ですが、必要な数より多く作って、出来のよいものはお墓に埋められ、この2点は残った分だと考えられます。
ちなみに、吉田白嶺は制作にあたって実物の武人埴輪をモデルにしました。そのモデルとなった武人埴輪(群馬県太田市世良田町出土 重要文化財)も、奇しくも当館の蔵品で、常設展示しています。