古墳時代の前期を代表する遺物に青銅製の鏡があります。中でも中国古代の神話に登場する神仙(しんせん)や霊獣(れいじゅう)を鏡背〔鏡の裏側〕の主文様とし、鏡の縁の断面を三角形に作った「三角縁神獣鏡」が有名です。
それは、出土した鏡の中に「景初(けいしょ)三年」や「正始(せいし)元年」など、魏(ぎ)の国の年号を記した銘文(めいぶん)をもつものがあり、その年代が邪馬台国(やまたいこく)の女王、卑弥呼(ひみこ)が魏の皇帝から「鏡百枚」を下賜(かし)された年と一致するからです。しかし、この鏡は謎だらけで、中国で作られた鏡であるのに、中国の発掘調査で出土した例は一面もありません。また、古墳から出土した三角縁神獣鏡はすでに500面以上で、下賜された鏡の数をはるかに超えています。こうした状況から、この鏡はすべて国内で作られたものとする説もあります。ただし、三角縁神獣鏡はもともと中国の魏で作られた鏡〔舶載鏡(はくさいきょう)〕と日本で作られた鏡〔仿製鏡(ぼうせいきょう)〕があるとされています。また、この鏡は同じ鋳型(いがた)を使用して鋳造した鏡〔同笵鏡(どうはんきょう)・同型鏡(どうがたきょう)〕がたくさんあるのも特徴です。同笵鏡の分有関係から、大和政権と各地の首長たちとの間を結び付ける道具として同笵鏡を利用したとする説があります。
掲出の鏡は神仙像と龍を3体ずつ交互に並べて、その外側に双魚・象・蛙などをめぐらせています。文様の表現の稚拙さや仕上がりなどから、この鏡は日本で作られた仿製鏡であることが分かります。この鏡はほかに9面もの同笵鏡があり、三角縁神獣鏡の中でもこれだけたくさんの同笵鏡が分かっているものはほかにありません。
なお、この鏡が出土したと伝える鶴山丸山古墳からは31面の鏡が出土していますが、調査によって出土状況がはっきり分かる鏡と、この鏡を比べると錆の付き方や損傷の程度が異なるので、別の古墳から出土した可能性もあります。