特別展・企画展

教祖130年祭特別展「天理参考館の珠玉」出品資料紹介


教祖130年祭特別展「天理参考館の珠玉」概要はこちらをご覧ください


 

縮緬地月に月見草模様友禅染訪問着
「縮緬地月に月見草模様友禅染訪問着」 三代・田畑喜八作 昭和30年(1897)
友禅染訪問着は外出着とされる格式ある和服のひとつ。金繍の三日月の光に包まれた薄墨色の蕩然たる空間に、そよふく影絵のような草と、白い花を幽艶に見せる月見草が友禅染で浮かび上がります。作者の三代・田畑喜八(1877~1956)は京都市内の京友禅の名家に生まれ、2年間、京都府画学校に学び、のちの写実風友禅の大成の礎を築いたといわれます。最晩年の1955(昭和30)年に「友禅」の重要無形文化財保持者(人間国宝)として認定されました。(日本民俗室)

 


 

鍍金銀製聖樹水禽文八曲長杯
「鍍金銀製聖樹水禽文八曲長杯」 イラン東部 ササン朝 6-7世紀 長さ30.5cm
口縁部が八曲の花形をなした長杯は、高度で美しいササン朝系金属工芸でも群を抜くもので、中国にも多大な影響を与え、日本では正倉院の金銅八曲長杯でよく知られています。発掘例はなく、それらしきものが描出された例も、わずかに中央アジアにあるペンジケント遺跡の壁画に認められるに過ぎず、著名な資料にしては不明な点が多くあります。内面には亀甲文が、外面には上下に樹木と鳥、その間に六葉円文などが描かれています。(考古美術室)

 


 

儀礼用仮面
「儀礼用仮面」 ブルキナファソ ボボ 20世紀後半 高71.2cm 幅25.0cm
この仮面は羚羊(れいよう/アンテロープ)と呼ばれる動物の顔を象ったものです。少し反り返った長い二本の角と、額から口先にかけて大胆に湾曲したフォルムが仮面の造形にアクセントを付けています。また、表面には黒く色付けられた三角形や菱形の模様が散りばめられています。こうした素朴で力強い造形が特徴の「アフリカン・アート」と総称される作品は、ピカソに代表されるように西洋の芸術家に大きな影響を与えたことがよく知られています。(海外民族室)

 


 

東京上野鉄道開業式諸民拝見之図
「東京上野鉄道開業式諸民拝見之図」[錦絵3枚続] 画作者:歌川広重(三代) 明治17年(1884) 縦36.8cm
明治5年、新橋横浜間で産声を上げた日本の鉄道は当初政府の直営でしたが、民間資本の活用を目指して半官半民の日本鉄道株式会社が設立されました。同17年6月25日、明治天皇臨席のもと上野高崎間の開業式を挙行、煉瓦造の上野駅が完成したのは翌18年のことです。本図は、広重自身が関西の鉄道開業を描いた図柄を流用したものですが、当時最新鋭の交通機関であった鉄道の開業は、画題として人々の関心を集めたことでしょう。(交通文化室)

 


 

三角縁神獣鏡(重要美術品)
「三角縁神獣鏡」(重要美術品) 伝岡山県備前市鶴山丸山古墳 古墳時代 径21.6㎝
丸い鏡の縁が三角形になっていて、古代中国の神様や霊獣を描いた鏡で、卑弥呼が魏の国からもらった鏡だという説と、日本製だという説があり、まだ、決着は付いていません。掲出の鏡は神様と龍を3体ずつ交互に並べ、その外側に魚・象・蛙などがめぐっています。文様の仕上がりなどから、この鏡は日本で作られた仿製鏡であることが分かります。この鏡と同じ型を使って作った鏡が9枚もあります。(考古美術室)

 


 

ロシアの民族衣装を着た風俗人形
「ロシアの民族衣装を着た風俗人形」 ロシア 1930年代 左端高39.0cm 幅21.0cm
これらの民族衣装を着た人形は、天理外国語学校において1935年に開催された「海外事情参考品展覧会」で展示していたことが記録に残されています。金髪の男性(左端)はロシア人で、文豪トルストイが着用していたために流行したルバシカと呼ばれるシャツを着ています。一方、帽子から長く垂れ下がった耳当てに、分厚い防寒着といった出で立ちの男性(中央)はシベリアの北方民族と思われます。ロシアの多様な民族文化を伝える優れた教材となったことでしょう。(海外民族室)

 


 

三彩釉駱駝
「三彩釉駱駝」 中国 唐時代 8世紀 高さ58.4㎝
立派な荷物を2つのコブの谷間に振り分けて立つ駱駝です。荷物に挟み込んだ板材の両端には宝相華文(ほうそうげもん)と呼ぶ花形の吉祥文様が施され、荷袋には空想上の獣の顔が大きく表されています。さらに荷物には緑や白、駱駝には茶色を基調とする施釉が行われ、濃淡をつけて格調高いものに仕上げられています。高さ60cm近くある、中国唐時代最盛期の優品と言えるでしょう。駱駝は、片手を挙げて手綱を持つ姿の人とセットになることが多く知られています。(考古美術室)

 


 

這子
「這子(ほうこ)」 京都 江戸時代 高41.0cm
白絹に綿を詰めて縫い合わせた布製の人形です。絹糸の黒髪を金糸で束ね、顔は鼻のみ盛り上げて、目、眉、口は簡略に描かれています。平安朝以来、上流階級は乳幼児の守りとしてこれを枕頭に飾り、ふりかかる災厄を身代わりさせました。本資料は着物を着ているために見えませんが、短い手足が付いています。うつぶせにすると乳幼児が這(は)い這いする姿に似ていることからこの名が付きました。「婢子(ほうこ)」「お伽這(とぎ)這子」とも称されます。(日本民俗室)

 


 

マニ車「マニコロ」
マニ車「マニコロ」 チベット 20世紀前半 長28.2cm
ヒマラヤ地域に暮らすチベット仏教徒にとって、仏具は『生活の一部』と化しており、なくてはならないものとなっています。そして、その代表格の仏具がこのマニ車(チベット語でマニコロ)です。彼らは木の柄の先に金属製の円筒がついたマニ車を常に携行し、右回りに回転させながら祈ります。内部にはロール状の経文が納められ、一回りさせると経文を一通り読み終えたのと同じ功徳があるといわれます。(海外民族室)

 


 

加彩鎮墓獣
「加彩鎮墓獣」 中国 唐時代 8世紀 左高さ34.2㎝
鎮墓獣とは、墓へ侵入しようとする邪悪なものを威嚇する事を目的に作られた、獣形の中国明器(めいき)です。その形には四脚で歩くもの、うつぶせのもの、うずくまるものなどがあり、2種類の獣をセットで配置することが特徴で、漢時代より見られます。本品は背に火焔状の翼をもち、角が螺旋状に絡みついて一角獣を表す鎮墓獣です。顔は人面と獣面があり、色付けは釉薬を用いず、顔料で彩色した「加彩」と呼ばれる技法を用いています。(考古美術室)

 


 

托鉢用の容器「カシュクール」
「托鉢用の容器“カシュクール”」 イラン・テヘラン市周辺 20世紀初頭 容器の全長29.5cm
イスラム教スーフィ派の托鉢(たくはつ)僧“ダルヴィーシュ”の持ち物で、施しを受けたり、食物を盛ったりするために使う容器です。鎖部分を肩にかけて持ち歩きます。鉢部分はフタゴヤシの実の殻で造られ、表面には草花とアラビア文字を組み合わせた文様等が彫刻されています。また、縁の部分には鳥の頭部がデザインされています。ダルヴィーシュは神と一体になることを最終目的として、雑念を捨て去り一心に神の事をのみ考え、禁欲的で厳しい修行を行うといわれています。(海外民族室)

 


 

土人形 武装した人
「土人形 武装した人」 日本 京都市伏見区 明治天皇桃山陵のために制作 大正時代 左高89.0cm
鎧兜に身をかためた、武装した人です。明治天皇の御陵は、遺言に従って京都盆地を見渡す通称桃山丘陵に築かれました。御陵には、鎮護のために武装した姿の土人形を埋めることになり、彫刻家の吉田白嶺が制作にあたりました。当時の記録に、高さ約90㎝、中世武将のいでたちで、矛と弓を持つ土人形が各2体埋められたとして、この人形そっくりの写真が載っています。多めに制作して上出来なものが埋められ、これはその残りと考えられます。(考古美術室)

 


 

津軽獅子舞の獅子頭
「津軽獅子舞の獅子頭」 日本 青森県北津軽郡鶴田町 「青森県獅子保存会中野組」旧蔵 昭和34年(1959)受贈
津軽の獅子舞は「ねぶた」と並ぶ青森の有名な民俗芸能のひとつです。ここでいう獅子(しし)はライオンではなく、野獣の総称としてのシシのことで、中野組のシシは鹿(しか)を指しており、効験あらたかな霊獣として大切に扱われます。獅子舞は東北地域によっては獅子踊(おどり)とも言われ、五穀豊穣、悪霊退散、結婚式・新築祝いや、死者供養・鎮魂など慶弔両方の場面で舞われるところが数多くあります。本品は青森県北津軽郡鶴田町の「獅子保存会中野組」の旧蔵品で、縁あって昭和34年に当館に寄贈されました。(日本民俗室)

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